名古屋コーチンの起源は明治時代にまで遡ります。江戸時代が終わりを遂げた頃、元尾張藩主の海部荘平と弟の正秀は、侍養鶏家として、日々血のにじむような努力をしていました。そして10年以上の試行錯誤の末、中国から輸入した卵をたくさん産む品種であるバフコーチンと、尾張の美味しい地鶏の交配に見事成功したのです。
海部鶏と称されたその鶏の肉質はたいへん素晴らしく、かつ生産能力も高かったため、評判となりました。その後も尾張の人々が関西地方に海部鶏の養鶏所を開き、徐々に海部鶏を広めましたが、「名古屋の方から来た鶏」ということで、次第に名古屋コーチンと親しまれるようになりました。
明治37年なると、愛知県により品種改良がなされ、近代養鶏史の第一ページを飾る国産実用品種第一号に認定されました。
今では名古屋だけでなく全国で味わえるようになった名古屋コーチン。丹波ささやま地鶏でも最高級の名古屋コーチンを産地直送で全国にお届けしています。自宅でも最高級の名古屋コーチンが食べたいという方はぜひご利用ください。
地鶏の中でも人気のある名古屋コーチンですが、現在に至るまで平坦な道を歩んできたわけではありません。昭和30年ごろになるとアメリカから採卵専用、肥育専用に改良された種鶏がどんどん輸入されるようになったのです。
採卵専用や肥育専用の鶏は、たくさん卵を生み、急速に成長します。そのため、少スペースでたくさん飼育することができ、採算性・利便性に優れるものでした。多くの養鶏農家は大きな利益を得られると名古屋コーチンを手放すこととなり、結果、名古屋コーチンは激減し、種の絶滅の危機を迎えることになりました。その頃、愛知県の農業総合試験場では名古屋コーチンの改良に関する研究が進められていましたが、名古屋コーチンの需要低下によって研究に対する士気が下がってしまいます。しかし、当時の名古屋大学農学部教授の叱咤激励により、「地域の食文化を作った鶏を根絶やしにしてはいけない!」と奮起するのでした。
名古屋コーチンの発展のためには、大型化が必須となり、これまでは採卵用に小型化への改良を重ねていましたが、食肉用になるよう大型化への研究が始まりました。(最小期で雄3kg、雌2.4kg、初期の頃のサイズは雄4kg強、雌3kg強)
また、この頃には昔ながらの「かしわの味」を求める声も強くなり、養鶏家、処理場、ふ化業者、料理店協力のもと、名古屋コーチンを普及する取り組みが始まりました。
その後10年に及ぶ試行錯誤を経て、1983年には50%増量に成功、改良版が作出されたのです。
その後、地鶏ブームが起こり、さらなる改良が行われ、名古屋コーチンは全国的に有名な地鶏としてブランドを確立しました。
美味しい鶏の代名詞ともいえる「名古屋コーチン」は、今では知らぬ人はいないというほど、多くの人に愛されています。名古屋コーチンが食べたいという方は、通販を利用してお取り寄せしてはいかがでしょうか。丹波ささやま地鶏は最高級の名古屋コーチンを産地直送で販売していますので、ぜひご利用ください。
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